Schnee12のブログ

不語似無憂-日々の雑感

2度目の流産、4度目の手術

昨日、2020/3/11に流産の手術を受けてきました。

ちょうど10週に入ったところで、3/9に母子手帳を貰って最初の妊婦検診に行きましたが、赤ちゃんの心臓が止まっていました。

 

私にとっては2度目となる流産でした。

前回は1年と少し前、同じくらいの週数で胞状奇胎による流産でした。

通常だと2回の手術&半年程度の経過観察らしいのですが、予後が私はあまり良くなかったため、手術3回、抗ガン剤1回を経て今年の1月にようやく次の妊娠の許可が下りました。

このような経過と、私自身の年齢のこともあり、すぐに不妊治療専門のクリニックに行き、タイミング法のみを試したところ1回で妊娠。心拍も確認できたため、クリニックを卒業して胞状奇胎でお世話になった近所の産婦人科へ行き、そこでも初診で心拍を確認。

次回は妊婦検診で来てね、と言われて翌週行ったところで流産の宣告でした。

 

手術も4度目ともなると、それ自体には特に何かを思うところもなかったのですが、ただただ、また産んであげられなかったことが赤ちゃんに申し訳なく。

2回連続で初期流産ということで私の体に問題があったんじゃないか、胞状奇胎後の予後が悪かった時にセカンドオピニオンを受けに行けば良かったのか、それとも2人目を望んだのが遅すぎたのか(1人目の子は現在5歳)、ストレスフルな仕事を続けていたせいか…と、今でも思考が乱れっぱなしのままです。

 

初期の流産は「赤ちゃん側の問題だから、あなたのせいではないからね」と必ず言われます。その本音や本心は分かりませんが。。。今はこの慰めの言葉を聞くのもつらく、なるべく人前(家族含む)では明るく振る舞うようにしています。

 

手術後に染色体の検査に回してもらったので、その結果次第で今後の行動も変わるのでしょう。

出来れば子供に弟妹を作ってあげたかった。でも2回連続で流産し、手術も4回もしたせいで、私の体はもう妊娠に耐えられないのではないかと怖くなってしまう。

あと年齢。これは後悔してもしきれません。

最初の子を産んだのが31歳。次の子が欲しいな、と思ったのが33歳の終わりころでした。この時ちょうど仕事と私生活で大変なことが重なり、結局妊活を始めたのは34歳を過ぎてから。そして結果は胞状奇胎で1年半の経過観察。

本当に愚かだったと思います。何よりも優先に考えるべきだったのに。

 

取りとめもなく書きましたが、こうして文章にすることで、少し気持ちの整理がつくような気がします。気持ちは乱れっぱなしですが、今は亡くなった子の供養と自身の体の回復に努めます。

 

初ブログ

初めまして。
これまでSNSもほとんどやったことがなく、初心者でも簡単!と書いてあったこのはてなブログですら、設定に1時間以上かかりました…。

このブログは、ここ2年間の闘病記録(胞状奇胎、流産など)として書こうと思っています。
自分の備忘録、かつ考えをまとめるために文章にしてみようかな、と。
慣れてきたら他の記事も書いてみたいです。